結婚式 招待状の種類紹介

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お食事の内容が記されたもの。 くりっく365な与件の一つとして作者の無名性が考えられていた。誰が造ったのでもなく太古の昔より存在するのが神話であった[95]。紀元前7世紀中葉以降、叙事詩的伝統に代わって、個人の感情や思いをうたう叙情詩が誕生する。抒情詩人は超越的な神々の存在について寧ろ無関心であった。しかし、これに続いて出現したギリシア悲劇においては、ムーサ女神への祈りもなく、明らかに彼らが創作したと考えられる物語を劇場で公開するようになる。これによってギリシア神話は人間的奥行きを持ち深化したが、彼らは神話を信じていたのだろうか。これに対する答えは、悲劇詩人たちはニーチェが洞察したように、コロスの導入によって、そして今一つに「英雄」の概念の変遷により、共同体の真実をその創作に具現していた。彼らはなお神を信仰していたのである[96]。 アテーナイの学堂しかし三大悲劇詩人の活動の背後で、奴隷制を基礎に置くギリシアの諸ポリスは、アテーナイを代表として困難に直面することにもなる[97] [98]。ペルシア戦争での奇蹟的な勝利の後、アテーナイの覇権と帝国主義が勃興するが、ポリスは覇権をめぐって相互に争うようになる。敗北したアテーナイにあって独自な思想を語ったソークラテースはなお敬神の謎めいた人物であったが、彼に先駆するソピステースたちは、神々もまた修辞や議論の為の道具と見なし、プロータゴラースは「神々が存在するのかしないのか、我々には知りようもない」と明言した[99]。 FXの弟子であり偉大なソピステースたちの論法を知悉していた紀元前4世紀のプラトーンは、古代ギリシアの民主主義の破綻と欠陥を認めず、彼が理想とする国家についての構想を語る。プラトーン以前には、ホメーロスの叙事詩が青少年の教科書でもあり、戦士としての心構え、共同体の一員たる倫理などは彼の二大作品を通じて学ばれていた。しかし、プラトーンは『国家』において、異様な「理想社会」のモデルを提唱した。プラトーンはまずホメーロスと英雄叙事詩を批判し、これをポリスより追放すべきものとした[100] [101]。また、彼の理想の国家にあっては、「悲劇」は有害であるとしてこれも否定した[102]。 しかし、このような特異な思想を語ったプラトーンはまた謎の人とも言えた。神話(ミュートス)を青少年の教育に不適切であるとする一方で、彼自身は自分の著作に、ふんだんに寓意を用い、真実を語るために「神話」を援用した[103]。ポリスの知識人階級のあいだでは、古来のギリシア神話の神々や英雄は、崇拝の対象ではなく、修辞的な装飾とも化した。こうしてアレクサンドロスがアケメネス朝を滅ぼし、みずからが神であると宣言したとき、「神々への崇拝」はポリス共同体から消え去った、あるいはもはやポリスはこのような宗教的情熱を支えるにはあまりにも変質してしまったのだと言える。神話(ミュートス)が備えていたリアリティは消失し、神話と現実の分離が起こった[104]。 人々の敬神の伝統はそれでもパウサーニアースが紀元後になって証言しているようにアテーナイにおいても、またギリシアの地方や田舎にあってなお続くが、叙事詩や悲劇がうちに込めていた神秘、ギリシア神話の真実性はもはや回復することのない終演の場面に至ったと言える。ヘレニズムの洪水のなかで、古代ギリシアのアルカイクな真実は失われ、文献学者の死せる素材の収集と、哲学者たちの理性的問答のなかで、それは枯死したかつての大樹か、またはオウィディウスが提供する甘美な恋愛譚の背後に消えてしまった。アリストテレースはこうして「歌うたいが法螺をふいている」と著作のなかで断言した[105]。古代の最後の秋にあって、背教者の汚名を着せられたユリアヌスはいま一度古の神々を復活させようと試みた。しかし、すでに地上には新しい神々が、別の真理を伝えていたのである。 古典学者ピエール・グリマルはその小著『ギリシア神話』の冒頭で、「ギリシア神話」とは何を指す言葉かを説明している。グリマルは、紀元前9-8世紀より紀元後3-4世紀にあって、ギリシア語話圏で行われていた各種の不思議な物語、伝説等を総称して「ギリシア神話」とする[106]。これは甚だ曖昧な定義であるが、「ギリシア語話圏」という限定によって説明に意味が出てくる。この広範な神話圏はしかし、紀元前4世紀末または前3世紀初にあって内容的・形式的に大きな変容を経過する。一つのは文献学の発達と、書物の要約作成によってであり、いま一つは、生きた神々への敬神の表現でもあった詩作品などに代わる、娯楽を目的とした作品の登場によってである。 プトレマイオス1ギリシアの諸ポリスは、アレクサンドロスの統一とオリエント征服によって事実上消滅した。名目的に諸ポリスはなお存続していたが、それはもはや新しい文化や制度を生み出す生命を失った廃墟であった。アレクサンドロスはエジプトに自己の名を付けた新都を建設した。エジプトを継承したディアドコイの一人プトレマイオスはそこに世界最大と称されたアレクサンドレイア図書館を建造し、夥しい蔵書の収集に着手すると共に、ヘレニズムの世界に優秀な学者を求めた[107] [108]。今日伝存する多くの古代の文献・文書はこの時代に編纂され、あるいは筆写され写本として残ったものである。 図書館はアレクサンドレイア以外にもペルガモンなどが著名であった。図書館は鎖されていたとはいえ、高い評価を受けた作品は、筆写されて、教養人・貴族などに広がっていった。図書館は大量の書物について、その内容要約書をまた編集していた。長い原著を読むよりも、学者が整理した原著の要約を読むことで、無教養な俄成金などは自己の見せかけの知識を喧伝できた[109]。あるいは諸種の伝説について、主題ごとの見取り図を与えるために書籍が編纂された[110]。このような「集成」本のなかでも、もっとも野心的であったのが、紀元前2世紀のアテーナイの文献学者アポロドーロスのものと長く考えられていた、プセウド・アポロドーロスの『ビブリオテーケー』(ギリシア神話文庫)である[111]。 一方、帝政ローマ期の貴族や富裕な階層の人々は、古代ギリシアの神々への崇拝や敬神の念とは関係なく、純粋に面白く色恋の刺激となる物語を好んだ。これらの嗜好の需要に合わせ、オウィディウスなどは、神々への敬神などとは無縁な、娯楽目的の『変身物語』や『祭暦』などを著し、また同じような意味でアプレイウスは『黄金の驢馬』を著した。オウィディウスの書籍はギリシア神話全体を扱うもので、体系的な著作とも言え、しかし気楽に読むことのできる短いエピソードの集成であった。 ギリシア神話の宗教としての「真実」の開示の機能は、このようにしてヘレニズムの時代にその終焉を迎えたと言える。新しく勃興したキリスト教は、まさに神話を否定したプラトーンの思想の延長上にあるとも言えたが、この後、千年以上にわたって続く西欧の精神の歴史のなかで、ギリシア神話はもはや宗教ではなく、この神話に登場する逸話や神々を、自然現象の寓意とも、娯楽のための造話とも見なしていた。 19世紀アメリカの文学者であるトマス・ブルフィンチはギリシア・ローマ神話に関する一般向けの概説書を著したが(Bulfinch's Mythology, 『ギリシア神話と英雄伝説』)、「神話の起源」について次のような四つの説をまとめ紹介している。1)神話は『聖書』の物語の変形である。2)神話はすべて歴史的事実の反映であり、後世の加筆や粉飾で元の姿が不明となったものである。3)神話は道徳・哲学・宗教・歴史の真理などを寓意的に表現したものである。4)神話は多様な自然現象の擬人化である。この最後の解釈は、19世紀初頭のワーズワースの詩作品に極めて明瞭に表出されているとする[112]。